皎圓寺は、「源義賢」の菩提寺です。源義賢は、「木曾の義仲」の父君です。

 源義賢は、近衛天皇が東宮(皇太子)であった頃、これに仕え、帯刀の長となり、「帯刀先生」と呼ばれました。その後、東国に下り、上野国多胡を領した後、武蔵野国比企郡大蔵(現在の嵐山町)に館をかまえますが、久寿二年(西暦1155年)八月十六日、甥の源義平に討たれました。この時、義仲は、斎藤別当実盛によって木曾に逃されています。

 荻窪家の先祖は、この源義賢の家臣でした。その一族には、義仲の乳母をつとめた女性がいました。荻窪家の裏山には、今でもその乳母を祭った「乳母神社」があり、荻窪家の前を流れる沢は、「うばさわ」と呼ばれています。
 仁治二年(西暦1242年)、荻窪家の先祖は主君「源義賢」の菩提を弔い、また人々の信仰の拠りどころとして皎圓寺を建立しますが、この時には、木曾の義仲もすでに他界していますから、心情としては、源義賢、義仲親子の菩提を弔ったものでしょう。

      

皎圓寺は、静かな里山のお寺です。今は移転しましたが、昔は、保育園にもなっていて、寺の前の広場では、運動会も開催していました。“親子三代リレー”という種目があったそうです。それはそれは村の一大イベントだったことでしょうね!大きな歓声が聞こえてきそうです。